チゾは、リング「手のひらを太陽に」のリングマスターを務めさせてもらってます。
なのですが、まあブログでもわかる通りログインの頻度はものすっごく悪い。
それでも確固たる休止というものは一度もなく、細いながらもずっとinしています。
そして、そんなチゾがマスターを務めるリングもまた、細いながらもずっとあり続けています。
でも、大々的にリングメンバーの勧誘をするわけでもないうちのリングは、
基本的に人がいません。
そんなリングに、
一人の新米ウァテスが飛び込んできました。
もう何年も前の話。
その新米ウァテスは、すごく頑張り屋さんで、
リングメンバーのいない中でもたった一人で毎日、クエストを地道に地道にこなしてました。
まだ今みたいに立派なチュートリアルがない時代の話。
しかも、一人で戦うことが向いていない職業。
すごく大変だったと思います。
でも、新米ウァテスは
チゾが非常に低い頻度でログインするそのたびに、
元気な顔でその成長を報告してくれました。
飛空庭を手に入れたんです♪
新しい職服を着られようになったんです♪
転職しました♪ もうドルイドなんですよー♪
そうやっていつも嬉しそうに見せてくれました。
ちょうどこの頃は、私の生活環境がECOをするには厳しい時期で、
忙しくてネットカフェに通えなくなったそのフラストレーションを
推奨スペックを満たしていないネットブックからの無理矢理のログインで
紛らわしているような時期でした。
推奨スペックを満たしてないけど、ECOできるかな…と思ってインストールして、
あの見慣れたログイン画面がお目見えした時の感動。今でも忘れません。
たとえ、グラフィックが色んなところでちゃんと表示されてなかったとしても、
それはそれは嬉しかった。
でも、そんなネットブックでのアクロニアでできる事は限られていて、
チャットと露店回覧が関の山。
それだって満足にできるわけではなく、人が少ない時間と場所という条件でのみ機能してる状況。
だから、この頃はアップタウンの人気のない路地裏でカタログを開いているか、
そうでなければ、西軍の長官室前の廊下に座り込んで
リングチャットやウィスパーチャットをしているといったことが私の日常でした。
そんな頃に、
ウァテスのふぇありんは「てのたい」に来ました。
出会いというほど大袈裟なことではないのだけれど、
このブログを読んで私を知ったふぇありんが、
ECOについての相談事を私に持ち掛けたのがきっかけでした。
それから、
ふぇありんはすくすくと成長して、
最終的にはすごく頼りになる一流の冒険者へとなっていきます。
親の目線というのも変な物言いだけど、なんとなくそんな風に
ふぇありんの成長する姿を見送っていきました。
そんな、すっごく大事な大事な思い出とともに私の胸の中にいるふぇありんなんだけど、
ブログには今の今まで登場していません。
なんでだろう?って思うかもしれませんね。
むしろ、ブログを通して出会うことになったふぇありん本人が
一番不思議に思っているのかもしれません。
実はそのことは私の中でも長く「ひっかかり」としてずっとずっと存在していて、
別にあえて書いてないわけではないんです。
理由の一つは、ブロガーとしての私のエゴ。
上に書いたとおり、この頃はとにかくログインできない環境で、
そしてログインしても、ネットカフェにいない限りは
そのほとんどが文字だけの世界だったわけです。
コミュニケーションとしてはチャットで会話もするし、一目見るくらいのことはできてた。
でも、それだと… 記事にどうやって仕立てたらいいかわからなくて…
記事としてある程度人目に出しても大丈夫な形にできないと、
ブログに載せることはしたくなかった。
これが理由の一つ目。
もう一つは、
私のアクロニアライフの中においての黒歴史No.1でもある、当時の馬鹿な決め事。
これほんと、今でもすっごい反省してて、後悔もしてるんだけど…
この頃は、忙しい状況とブログを書かなきゃっていうせめぎ合いの中で
若干ネガティブになってて、
大きくないとは言えど、少なからず、「ログインしたくない」という
とても後ろ向きな気持ちを持っていたんですよね…
でも、そんな状況は良くないと自分でも気付いてるから、
それを何とか払拭しようとして、ある時、自分の中で「一つの決め事」をしたんです。
それが
「できるだけSSは撮らない」
ということ。
うん、ひどい決め事だね。
チゾといえば、「やたらと写真を撮る」。
アクロニアで実際に会ったことがある人なら、
特にそんなイメージを持っているかもしれません。
これは「自分のために思い出を形として残す」というのが勿論その一番の理由なんですけど、
私なんかはプレイブログという読み物をきっかけとしてこの世界に入ってきたクチなので、
どうしてもそれと合わせて、
記事として発信してみんなと共有したいという気持ちが出てくるんですよね。
そしてそれが、このブログの原点であり原動力でもあるわけです。
でも、この頃の忙しい環境の中で、
それが少しずつ歪んでいき、いつの頃か逆転してしまう。
写真があると、写真を見ると、
記事にしなくてはならないという自責の念や強迫観念によって、追い込まれてしまうという事態。
追い込まれると「嫌だ」の感情が生まれます。
すると楽しい嬉しいの感情から生まれるものだったこのブログというものは
当然ながら根元部分で破綻してしまい、余計に記事にできない負のスパイラルに陥ります。
そこで私は考えたわけです。まさに苦肉の策。
「だったらいっそSSを撮らないことにしよう」
だからこの頃は、
勝手ながら私の中で、そもそも写真を撮ること自体を選別してたんです。
普通は写真をいっぱい撮って、そのたくさんの写真の中、出来事の中から
記事にすることをピックアップすると思うんだけど、当時の私はもうそれすらできなくなってて、
根本である写真を撮るということ自体にリミッターをかけたんです。
これは、ともすれはもっと根源的な
アクロニアに降り立つということすらも拒否してしまうことを避けるための代替案。
結果としては、
細々とログインを保つくらいはできたので、九死に一生といった感じはあるんだけど、
それでも、やっぱり写真として残ってない出来事がこの頃はたくさんあるんですよね。
ほんと今思うと非常に盲目的だし、
ブログを書く者として馬鹿げてるとしか言えないんだけど、当時の私は
「私の心の中にあれば良い」という考えに大きく支配されていて、
だから、勿論私の中には思い出として存在してるんだけど、
その頃のことは外に発信するような形にはすごくしづらいんです。
ふぇありんとのことも
その中の一つ。
そして、この頃の一番大きな思い出でありながら、逆に、故に、内に秘めようという
間違った考え方に影響され、記事にすることのなかった、その最たるものだと思います。
ふぇありんにはずっと申し訳ないなぁって思ってたんだけど、
でも、そんなこともあってついぞブログに登場することはなかった。
その貴重な時を、スクリーンショットのボタンをただ押すだけなのに、
なんで写真に収めてないんだと自分でもほんとうに強く思うんだけど、
当時はそうするしかできなかったんだよね… 遠い目…
まだふぇありんがウァテスのトレードマークのあのエメラルドブルーの職帽をかぶってた頃、
ステップ砂漠でクエスト品だというローパーの触手を頑張って集めてて、
それをレヴェと共に手伝ったこと。
それから時が経って、立派な回復手となったふぇありんに憑依してもらって
ディメンションイーストダンジョンという険しい場所でチゾを守ってもらったこと。
そういった思い出を、
「こんな素敵な出会いがあって、こんな素晴らしいアクロニアでの生活があるんだよ」って、
出会う前のふぇありんが私のブログで感じたような想いの形にして
いろんな人に伝えることができなくって、本当に申し訳ない思いでいっぱいです。
でも、ひどく不恰好だけど、やっと記すことができました。
もう何年も昔の話。
数年経った今、この機会を与えてくれた神様に感謝しないとね。
また会うことができてほんとうに嬉しいです。
ふぇありんのアクロニアライフに幸あらんことを
2015.7月13日 【只今のJOBLV:--♪】
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